フェイスブック・アーカイブ

斎藤清のふだん着のライフスタイル、斎藤清のクリエイティビティ、斎藤清美術館の企画展ニュース、ニュー美術館への実験的こころみ、斎藤清の町やないづ、アート・リラクゼーションの町やないづなど、こうした多彩な情報を斎藤清作品を通して発信して行こうと、斎藤清美術館公式フェイスブックはスタートしました。
第1回目は、2014年9月17日(水曜日)でした。

「フェイスブック・アーカイブ」では、スタート時から現在までの投稿テキストの中から、アクセス数の多かったコンテンツを中心にピックアップしてアーカイブとしました。
まとめて読んでみると、当時のことが手に取るように思い出され、ここから新たな夢、新たな企画が立ち上がってくるようです。
(一部、加筆修正しました)

2016年1月29日 (金曜日)

斎藤清のコラグラフ作品は、ほとんどがモノトーンです。それゆえ、画家自身のクロッキーやスケッチをそのままコラグラフ化した斬新な発想、斬新な作品と評されたのでしょう。

フォトは、コラグラフによる、1963年作「猫 (5)」。斎藤清は、木版画やリトグラフで多くの「猫」シリーズを描きましたが、コラグラフでも何枚もの「猫」シリーズを発表しました。

この、コラグラフの「猫」シリーズは、いわばスケッチブックから飛びでたような奔放な猫たちです。木版画の猫たちと違って、周囲に溶け込むように描かれたり、グータラだったり、ゴロニャンしたり、ゴロニャン一歩手前だったり、マイペースなヌクヌク感が伝わってきます。布、紙、木くずなど、その材質にこだわったコラグラフならではの味わいと言えるでしょう。

ただいま、斎藤清美術館第二展示室では、3月末まで期間限定で、斎藤清のコラグラフ20点を展示しています。お楽しみください。

猫 (5) 1963年 コラグラフ 斎藤清美術館所蔵
Cat (5)

2016年1月27日 (水曜日)

ことあるごとに、「問題は絵だ、絵をつくりたい」。斎藤清は、木版画にとどまらず、コラグラフ、リトグラフ、墨画など、さまざまな表現手法、技法で、絵をつくってきました。戦前から戦後間もない頃まで、木版画にシフトしながらも、油彩にも取り組んでいました。機会があれば、ここで、斎藤清の油彩もご紹介したいと思っています。

フォトは、コラグラフによる、1964年作「ヌード (7)」。斎藤清は、コラグラフに新味を出そうと、おがくずやセメント沫など、まだ誰も試みなかった材質を用いて、塗ったり、描いたり、引っかいたりして、新しい絵をつくり続けました。特に、この「ヌード」シリーズは、画家のクロッキーやスケッチをそのままコラグラフ化した斬新な作品として高評価を得ています。

斎藤清美術館第二展示室では、3月末まで期間限定で、斎藤清のコラグラフ20点を展示しています。お見逃しなく。

ヌード (7) 1964年 コラグラフ 斎藤清美術館所蔵
Nude (7)

2016年1月14日 (木曜日)

先日の「冬のパリ (B)」のアップ以来、フランスからのアクセスが急増しました。この斎藤清美術館FBのトップページにも、フランスからたくさんの「いいね!」をいただきました。

もう、お気付きかも知れませんが、斎藤清の作品名は日本語と英語が併記されています。
「冬のパリ」なら、”Winter in Paris”のように。でも、もともとは、英語のみのタイトルでした。

1948年、斎藤清は、サロン・ド・プランタン展でトップ賞を受賞。1951年には、第1回サンパウロ・ビエンナーレ展で、戦後日本人初の国際展受賞となり、以来、世界各地の国際版画展に招待出品を重ね、海外との交流が深まり、斎藤清の作品名は自ずと英語のみとなりました。ところが、こうした海外での評価が日本に逆輸入し、国内でも斎藤作品に注目が集まるにつれ、英語名だけでなく、日本語のタイトルも併記されるようになった次第です。

フォトは、1966年作「冬のパリ (C)」。ご婦人の足元にいる子犬が、個人的に大好きです。

冬のパリ (C) 1966年 木版画 斎藤清美術館所蔵
Winter in Paris (C)

2016年1月9日 (土曜日)

前回の「会津の冬」シリーズと見比べてみるのも一興でしょう。斎藤清が思いを寄せた街パリ、そこを舞台にした「冬のパリ」シリーズをお届けします。

1959年冬、斎藤清は、アメリカ人スポンサーの招待でパリを訪れ、そこで2ヶ月ほど生活をしました。あちこちのカフェ、ショップ、本屋、露天、朝市などを訪れ、セーヌ川沿いなども散策して、スケッチ三昧の日々を過ごしました。斎藤清の珈琲好きはとても有名でしたが、それはこの頃から始まったのかも知れません。

フォトは、1966年作「冬のパリ (B)」。この作品と同じ場所、似た構図で描かれた1989年の作品「パリ 広告塔」があります。
「冬のパリ (B)」の手前のベンチには誰もいませんが、二十数年後に描かれた「パリ 広告塔」のベンチには人物が座っています。斎藤清は、なぜ、二十数年の歳月を経た同じベンチに人を配したのか、その理由を推測してみるのも楽しいです。

冬のパリ (B) 1966年 木版画 斎藤清美術館所蔵
Winter in Paris (B)
パリ 広告塔 1989年 木版画 斎藤清美術館所蔵
Paris, Advertisement Tower

2016年1月6日 (水曜日)

斎藤清は常々言っていました、「問題は絵だ、絵をつくりたい」。「展示会を開くと、版画はどうしてつくるのかという質問ばっかり、版画じゃなくて絵なんだ」。「油絵を描いていないが、基本的に僕は油絵画家だと思っている。版画は、僕にとって、素材と刀を使って働くことではなく、絵画を創作することなんだ」。

フォトは、1992年作「会津の冬 (96) 三嶋町 間方」。これは、版画ではなく、墨画に彩色を施した作品です。同じ年に発表された、これと同じタイトル、同じ構図の版画バージョンもあります。

斎藤清がリスペクトするノルウェー人画家&版画家のエドワルド・ムンクも、同じタイトル、同じ構図で、油絵だけでなく、版画も数多く制作しました。あの名作「叫び」にも、油絵だけでなく、単色のリトグラフ、多色のリトグラフがあります。

会津の冬 (96) 三嶋町 間方 1992年 墨画淡彩 斎藤清美術館所蔵
Winter in Aizu (98) Mishima−Mach, Magata

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