フェイスブック・アーカイブ

斎藤清のふだん着のライフスタイル、斎藤清のクリエイティビティ、斎藤清美術館の企画展ニュース、ニュー美術館への実験的こころみ、斎藤清の町やないづ、アート・リラクゼーションの町やないづなど、こうした多彩な情報を斎藤清作品を通して発信して行こうと、斎藤清美術館公式フェイスブックはスタートしました。
第1回目は、2014年9月17日(水曜日)でした。

「フェイスブック・アーカイブ」では、スタート時から現在までの投稿テキストの中から、アクセス数の多かったコンテンツを中心にピックアップしてアーカイブとしました。
まとめて読んでみると、当時のことが手に取るように思い出され、ここから新たな夢、新たな企画が立ち上がってくるようです。
(一部、加筆修正しました)

2016年3月11日 (金曜日)

次の角を曲がると、もう春が待っているかも知れません。斎藤清美術館では、今月31日 (木)から、新しい企画展がはじまります。タイトルは、斎藤清展「見つめ X 見つめられ 凝視」。

斎藤清の「凝視」シリーズは、1951年、第1回サンパウロ・ビエンナーレ展での戦後日本人初の国際展受賞作「凝視 (花)」からスタートしました。以来、「凝視」は、斎藤清の生涯の大きなテーマのひとつに ーー。斎藤の創作スタイルは、たとえ同じ対象に何度遭遇しても、まるで初対面であるかのように接し、それまで見えなかった「モノ」を発見することでした。彼は、気づいていたのかも知れません。向き合う対象との視線の交錯の中で、見つめているはずの自分が、実は見つめられているということに。

フォトは、この企画展のポスターです。ビジュアルは、1971年作「凝視 (猫)」。「見つめ X 見つめられ 凝視」では、「凝視」シリーズをはじめ、「目」「瞳」と題された作品など多彩に展示されます。

今日3月11日は、東日本大震災から、ちょうど5年。まだまだしなければならないことはたくさんありますが、私たち斎藤清美術館は、震災前の美術館に戻そうとは思っておりません。ニュー斎藤清美術館にご期待ください。

凝視 (猫) 1971年 木版画 斎藤清美術館所蔵
Steady Gaze

2016年3月5日 (土曜日)

斎藤清がリスペクトしたノルウェーの画家&版画家、エドワルド・ムンク。彼は、左右反対の鏡像という手法で、いくつもの作品を手がけました。例えば、「病める子」「ヴァンパイア」「嫉妬」、などなど。

フォトは、コラグラフによる、1963年作「カフェ クーポール、パリ」。昨年ご紹介しました「カフェ クーポール、パリ」と見比べてください。斎藤清には珍しく、左右反対の鏡像という形で、モノトーン版「カフェ クーポール、パリ」を作品化しました。この人物はこの人で、この椅子はこれで、奥にいる男性はこの人で、など。鏡像関係にある作品を見ると、つい、比べてしまいます。とは言え、左右対称でない微妙な違い、表情の違いなどを発見するのも、鏡像関係の面白いところです。もし、Kiyoshi Saitoのサインまで、鏡像になっていたら、もっと。。。

ただいま、斎藤清美術館/第二展示室では斎藤清のコラグラフ20点が展示されています。今月27日 (日曜日)まで期間限定です。

カフェ クーポール、パリ 1963年 コラグラフ 斎藤清美術館所蔵
Café Coupole, Paris

2016年2月29日 (月曜日)

斎藤清美術館第二展示室でのコラグラフ展は、3月27日 (日曜日)までです。期間限定ですので、この機会にどうぞ。

フォトは、展示中のコラグラフ作品、着彩「野良犬 メキシコ」。モノトーンと着彩バージョンがありますが、モノトーンは1963年作、この着彩バージョンは制作年不詳です。

斎藤清は、1956年、アメリカ国務省とアジア文化財団の招きで、アメリカ、メキシコを訪問しました。この時、アメリカの後、メキシコ各地を回って、スケッチ三昧のはずでしたが、あまりの暑さにわずか4日間でダウンし、ホテルでじっとしていたとのことでした。

斎藤清曰く、「当然、暑いから薄着がいいだろうと思った。ところが、現地の人は厚い服を着ている。そうしないと、高温のために、身体の水分がみんな吸い取られてしまうんだ。肌を日光にさらしたら、火ぶくれができるほどの暑さだった」。

こうした脱水症状寸前の中でスケッチしたのが「野良犬 メキシコ」。やせ細った犬が行き場を失ったようで動こうとしません。同じタイトルの木版画もあります。この時以来、夏は苦手になってしまったようで。。。斎藤清、49歳の夏。

野良犬 メキシコ 制作年不詳 コラグラフ 斎藤清美術館所蔵
Stray Dog, Mexico

2016年2月8日 (月曜日)

1955年頃から、斎藤清はアメリカの友人たちの薦めもあって、京都や奈良などをモチーフに創作に取り組みました。桂、祇園、詩仙堂、宇治、南禅寺、嵯峨、舞妓、法隆寺、唐招提寺、阿修羅、などなど。

1955年と言えば、戦後日本人初の国際展受賞からすでに4年が経過、しかし彼の作品はまだまだ日本では受け入れられず、よく陰口を叩かれていました。

フォトは、1965年作「嵯峨、京都 (B)」。人それぞれでしょうが、思わず耳を澄まして見入ってしまいそうです。耳を澄ますと、はるか1000年の時の彼方から、平安の風流なにぎわいが微かに聞こえてきそうで。。。前回の「石庭」、そしてこの「嵯峨」の竹林、ぜひ心静かにゆっくりと旅していただきたい斎藤清の「京都」シリーズです。

嵯峨、京都 (B) 1965年 木版画 斎藤清美術館所蔵
Saga, Kyoto (B)

2016年2月5日 (木曜日)

当時、斎藤清の良き理解者は、アメリカの人たちでした。例えば、1955年、シアトル美術館では「斎藤清と彼の仲間たち展」、エール大学付属美術館では「現代日本版画三人展」が開催され、前評判以上の人気、来館者数を記録しました。ニューヨークタイムズは、この展示会を紹介し、斎藤清を絶賛しました。

そんなアメリカ人曰く、「こんど、京都、奈良をモチーフに描いてはいかがでしょうか? あなたの画風に素晴らしい何かを与えてくれるかも知れません」。

ある日、モンドリアンの絵を見ている時、斎藤清はふとそこに障子を感じたとのことです。「そうだ、京都行こう」。

そんな思いに駆られ、斎藤はスケッチブックを携えて、京都の桂離宮、祇王寺、苔寺、祇園、そして龍安寺などへ。しかし、龍安寺石庭のあまりにシンプルな、究極ともいうべき構図を目にした時、かつてない衝撃を覚え、鉛筆を走らせるのがやっとでそそくさ帰京してしまったとのことでした。

フォトは、1955年作「石庭」。当時、日本では、この作品に対してほとんど評価されることはありませんでした。それどころか、揶揄されることもしばしば。そんな中、翌年1956年1月から約半年間、斎藤清はアメリカへと。

石庭 1955年 木版画 斎藤清美術館所蔵
Stone Garden

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