世界と斎藤清と

1950年〜70年代、国際美術界の寵児 Kiyoshi Saito。

1948年、斎藤清41歳の時、東京目白の旧徳川邸で開催された第1回サロン・ド・プランタン展に木版画『ミルク』を出品、トップ賞を受賞。
この、プランタン展は、日本人芸術家を援助し、すぐれた創作に取り組んでいただこうと各国駐在大使夫人が中心となってスタートしました。後々、この展覧会は、シアトル、ロサンゼルス、セントルイスなど、アメリカ各地で巡回展が開催されました。
また、1951年、斎藤清44歳の時、第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に木版画『凝視 (花)』を出品、在サンパウロ日本人賞を受賞。
これは、戦後日本人初の国際展受賞であり、以来1950年代から70年代にかけて、世界各地の国際版画展に招待出品を重ね、Kiyoshi Saitoの名はますます国際美術界において広く知られる存在となりました。

21世紀のアート・シーンで、斎藤清作品を再評価。

斎藤清への評価は、国内よりも海外の方が先行し、いわば評価の逆輸入と言うカタチで、日本国内に広まった経緯がありました。日本の美術館だけでなく、海外の美術館にも、斎藤清作品が広く所蔵されているのは、こうした理由からでしょう。
例えば、ニューヨーク近代美術館、ボストン美術館、ワシントン美術館、ミシガン大学美術館、シカゴ美術研究所、サンフランシスコ美術館、グレーター・ヴィクトリア美術館、東アジア美術館、などなど。

ここ「世界と斎藤清と/WITH THE WORLD」では、斎藤清作品を所蔵している世界の美術館とのコミュニケーションを再開し、版画家斎藤清がかつてそうであったように、斎藤清作品を会津から、日本から、新たに世界へアプローチし、21世紀の世界のアート・シーンの中で新たな再評価を試みたいと企画しました。
ご期待ください。

TOP