斎藤清プロフィール&略歴

安井曽太郎の木版画に触発され、油絵から版画制作へ。

斎藤清 (Kiyoshi Saito)、福島県会津の世界的版画家。
1907年4月27日 (土曜日)-1997年11月14日 (金曜日)、享年90歳。

1907年、斎藤清は福島県会津坂下町窪で誕生しました。
4歳の時、父親の仕事の関係で故郷会津を離れ、北海道夕張へ移住。
小さい頃から童謡を作って雑誌に投稿したり、イラストを描くことが大好きで、小樽の看板店「広告研究社」に就職。
1931年、24歳で上京、宣伝ポスターの仕事をしながら油絵を独学。
そして、1936年、29歳の時、安井曽太郎の木版画『正月娘姿』にインスパイアされ、独学ながらも木版画制作に着手。すると、同年、第5回日本版画協会展に、初めての木版画『子供座像』『少女』を初出品、初入選を果たし、以後、版画制作へ傾倒して行きました。

日本の現代版画のポテンシャルを世界へ広めた、快挙。

1948年、斎藤清41歳の時、東京目白の旧徳川邸で開催された第1回サロン・ド・プランタン展に木版画『ミルク』を出品、トップ賞を受賞。後々、この展覧会はアメリカ各地をツアー。
1951年、斎藤清44歳の時、第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に木版画『凝視 (花)』を出品、在サンパウロ日本人賞を受賞。
これは、戦後日本人初の国際展受賞であり、日本の現代版画のポテンシャルを世界へ広める出来事となりました。
さらに、1952年、1955年には、アメリカで、「斎藤清と彼の仲間たち展」「現代日本版画三人展」などが開催され、ニューヨーク・タイムズに絶賛されました。
斎藤清曰く、「アメリカ人は、私のよき理解者だ。」

海外との交流が深まるにつれ、アメリカの友人たちは斎藤清にリクエストをしました。
「京都、奈良は、とても素晴らしい。Kiyoshiの描く京都、奈良を見てみたい。」
それまでの斎藤清には、各地を旅行しながら絵を描くという習慣はなく、作品のモチーフと言えば身の回りのものがほとんどでした。
そして、これが契機となって、国内はもとより、アメリカ、メキシコ、フランス、タヒチ、アジアへスケッチに出かけ、それを作品化しました。
斎藤清ですから、桂離宮や竜安寺、法隆寺、ニューヨーク、パリを描いても、人が見慣れた構図では描きませんでした。

日本の伝統表現に、西洋の近代造形を取り入れた斎藤清オリジナルな木版画技法。
ここから誕生した数々の斎藤作品への評価は、国内よりも海外の方が先行し、いわば評価の逆輸入と言うカタチで、日本国内へ広まって行きました。
その後、国内外を問わず多くの栄誉に輝き、1995年には文化功労者に顕彰されました。
そして、1997年、永眠。享年90歳。

略歴

1907年 (明治40年)
福島県河沼郡会津坂下町に生まれる。
1911年 (明治44年) 4歳
北海道夕張市に転居。
1931年 (昭和6年) 24歳
上京し独学で油絵を学ぶ。
1932年 (昭和7年) 25歳
第9回白日会展に油彩を出品、初入選。
1933年 (昭和8年) 26歳
第1回東光会展に油彩が入選する。
1935年 (昭和10年) 28歳
第10回国画会展に油彩を出品、初入選。
1936年 (昭和11年) 29歳
安井曽太郎に触発され、初めて木版画を制作。第5回日本版画協会展に出品、初入選。
1937年 (昭和12年) 30歳
第12回国画会展版画部門に初入選、没年(平成9年)まで連続出品。
離郷後初めて会津坂下町の叔母を訪ねる。
1940年 (昭和15年) 33歳
《会津の冬》の第1号を制作する。
1944年 (昭和19年) 37歳
朝日新聞社に入社。 (1954年退社)
1948年 (昭和23年) 41歳
サロン・ド・プランタン展に《ミルク》を出品、1等賞を受賞。
1949年 (昭和24年) 42歳
国画会会員に推挙される。
1951年 (昭和26年) 44歳
サンパウロ・ビエンナーレに《凝視 (花)》を出品、サンパウロ日本人賞受賞。
三越にて「斎藤清創作版画展」開催、以後毎年開催。
1952年 (昭和27年) 45歳
アメリカでの初の個展開催。 (ニューヨーク)
1955年 (昭和30年) 48歳
アメリカ・シアトル美術館で「斎藤清と彼の仲間たち展」開催。
1956年 (昭和31年) 49歳
アメリカ国務省、アジア文化財団の招きでアメリカ、メキシコを訪問。各地の実技指導を実施、個展を開催。
京橋・中央公論社画廊にて、「第1回棟方志功・斎藤清近作発表展」開催。
1957年 (昭和32年) 50歳
第2回リュブリアナ国際版画ビエンナーレに出品し受賞。
アジア・アフリカ諸国国際美術展に出品し受賞。「斎藤清木版画展」ワシントン・コーコラン美術館にて開催。
京橋・中央公論社画廊にて、「第2回棟方志功・斎藤清近作発表展」開催。
1959年 (昭和34年) 52歳
訪仏、パリに滞在しスケッチを重ねる。
1962年 (昭和37年) 55歳
「斎藤清版画展」のためニューヨーク訪問。
1964年 (昭和39年) 57歳
ハワイ大学芸術祭に招待される。ホノルル美術館で版画展開催。
1965年 (昭和40年) 58歳
版画展のためオーストラリア訪問。帰途タヒチを取材する。
1967年 (昭和42年) 60歳
インド文化省主催による版画展のためインドを訪れる。
1969年 (昭和44年) 62歳
カナダ・グレータービクトリア美術館、アメリカ・サンディエゴ美術館で「斎藤清展」開催。
1970年 (昭和45年) 63歳
連作《会津の冬》最初の20点を発表。鎌倉市に転居。
1976年 (昭和51年) 69歳
福島県より県外在住者知事表彰を受ける。柳津町名誉町民となる。
1977年 (昭和52年) 70歳
「斎藤清展」のためチェコスロヴァキアを訪れる。
1981年 (昭和56年) 74歳
秋の叙勲で勲四等瑞宝章の栄誉を受ける。
1983年(昭和58年) 76歳
「斎藤清展」神奈川県立近代美術館にて開催。
1987年 (昭和62年) 80歳
鎌倉市から柳津町に転居。
1995年 (平成7年) 88歳
国の文化功労者に顕彰される。
1997年 (平成9年) 90歳
やないづ町立斎藤清美術館開館。11月14日永眠。
  • 石庭 1955年 木版画

  • インド (B) 1968年 木版画

  • 本屋、セーヌ、パリ 1960年 木版画

斎藤清アトリエ館

雄大な只見川と、奥会津山系。

斎藤清アトリエ館は、斎藤清が晩年の10年余、神奈川県鎌倉から福島県柳津町に創作の場を移した後の仕事場兼住まいです。
アトリエの窓から見える雄大な只見川の清らかな流れと、奥会津山系の美しい眺望は、斎藤清の絵心を日々揺り動かしたことでしょう。
現在は斎藤清アトリエ館として、彼自身が生前使用していた版画制作の作業台や彫刻刃などがそのままの状態で展示されています。
アトリエ館内では、作品の展示はされておりません。

【開館時間】
9:00~12:00、 12:45~16:30 (最終入館は16時)

【休館日】
[4月下旬~12月]毎週月曜日 (月曜日が祝祭日の場合は翌日)
[1月~4月中旬] 月曜日~金曜日休館 (土・日曜日のみ開館)

【アクセス】
斎藤清美術館より徒歩5分。
アトリエ館には駐車場がありませんので、お車でご来館の際は美術館駐車場か、つきみが丘町民センターの駐車場をご利用ください

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